-随筆型自己紹介- 空っぽだった僕の中身が詰まるまで

初めまして。石井嘉一郎(かいち)と申します。

インターネットを主な活動場とし、個人で創作漫画を描いております。

20歳で初めて出版社に漫画を持ち込み、以来、漫画家を目指して作品を描いてきました。

 

漫画家になりたくて描いてきたというよりは、どうせ生きていくなら好きなことで生きていきたい

そんな、どこか軽薄な氣持ちで。

 

僕は芯のない、中身空っぽの人間でした。

空っぽが夢を見たものだから、よく人に流されました。

人に流され、時代に流され、理想と現実のギャップに何度も苦しんできました。

それでも、空っぽは空っぽなりに漫画を描くことを辞めずに生きてきました。

 

本記事は、そんな中身空っぽだった僕が、自分という中身ができるまでのお話になっています。

僕という人間を知るがてら、楽しんでいただけたら幸いです。

 

 

 

26歳フリーターという現実

21歳になる年から、アルバイトをしながら出版社に漫画を持ち込む生活を開始しました。

状況が何も変わることなく5年が経ち、26歳フリーターという現実に直面します。

なんとなくですが、出版社からデビューしやすいのは25歳までという風潮がありました。この年齢を過ぎると、よほどの実力者でない限り連載獲得は難しいとされていました。

21歳の自分は、「25歳までには連載の一つでも獲っているだろう」と踏んでいたのですが、

 

氣がつけば、なんの結果も出せないまま25歳を過ぎていました。

 

 

漫画家を目指して以来、周りの人から批判を浴びながら生きてきました。

「漫画家になんかなれるわけない」

「歳を取れば取るほど、やり直しが効かなくなるぞ」

「もっと親のことも考えろよ」

それでも自分を信じて描き続けてきました。

ですが、このときばかりは心が折れそうになりました。

 

26歳フリーターという現実を前に、これまで浴びてきた言葉が脳内を駆け巡ります。

自分に才能がないことを認めざるを得ない状況に陥り、初めて真剣に、漫画家の道を諦めるかどうか悩みました。

 

しかし、何度自分に問いかけても、返ってくる答えは一つ。

 

 

僕は筆をとりました。

当時抱いていた想いを全て込めて、『Decade(ディケイド)』という作品を描き上げます。

 

真剣に悩んでも、中身が空っぽなので変わりません。結局、みんなの言うリスクなんてお構いなしで、やりたいことをやっちゃいました。

 

描き上げた作品は最高傑作でした。

それまでの自分に描ける最高の作品ができたと自画自賛。

出版社に持ち込めば必ず結果を出せる。

そう思えるほど自信があった作品でしたが、

 

『Decade(ディケイド)』は出版社へは持ち込まず、インターネットで公開することに決めました。

これが当サイト、『かいちの漫画ブログ』の始まりです。

 

これまでと同じ道を歩んでも、自分には芽が出せないと思いました。

諦めないと決めた以上は、芽を出すために工夫をしないといけない。結果が出ないなら、やり方を変えて進まなければいけない。

そう思い、出版社に通うこれまでの型を捨て、インターネットを主な活動場とすることにしたんです。

 

これはある種の”逃げ”でもありました。

自分の漫画力の乏しさは、この6年で痛いほど身に染みていましたから。競合数多の商業連載枠を勝ち取るよりも、枠無制限のインターネットから作品を発表していった方が、漫画で生きることを実現しやすいと考えたのです。

 

『Decade(ディケイド)』を皮切りに、インターネットに漫画をたくさん投稿していきました。

なんとか漫画で生きていくために、僕なりに無い頭を精一杯使った…つもりだったのですが、

 

この選択がさらに僕の人生を狂わせることになります。

全ての悩める夢追い人へ贈る漫画『Decade(ディケイド)』 『Decade(ディケイド)』 ...

空虚な漫画家人生

インターネットの世界はコンテンツ・イズ・キングと言われていました。

内容の良し悪しに関わらず、とにかく数を投稿して閲覧数を稼いだ人に、多くの富が集まる世界。

僕はなんとか漫画で生きていこうと、数字を稼ぐことに躍起になりました。

漫画力の乏しさは自覚済み。創作漫画では数字は取れないと踏んだ僕は、自分の価値観を含んだエッセイ漫画をたくさん発表してきます。

 

するとなんと、

 

これらの漫画がめちゃめちゃ批判されました。

(インターネットは怖いところです。負った傷は今でも僕を苦しめています)

 

 

批判を受ける反面、たくさんの方から共感のお声や応援のお言葉をいただきました。

結果的に、たくさんの方に僕の漫画を読んでいただくことができました。

大変ありがたく思います。

そうして数字を稼いでいくエッセイ漫画を発表すること2年。

 

 

氣がついたのは、

これらが描きたい漫画ではない

ということでした。

 

 

インターネットへ活動場を移して以来、自分に描けるものは、なんでも描きました。

自分のエッセイ漫画をはじめ、
他者さまのエッセイ漫画、紹介漫画、
企業さまの広告漫画、

いつしか、漫画のお仕事で生活できるまでになっていました。

漫画家になることができました。

 

しかし、そんな活動を続けていた折、親友に言われます。

「それって、お前がなりたかった漫画家なの?」

 

その言葉はさほど痛くないものの、妙に自分の胸深くまで刺さります。

 

それでもその時は、氣にしている余裕はありませんでした。数字の世界が正しいと信じていたので、引き続き、半ば盲目的に突っ走ってきました。

ところが、あるところを境に息が切れます。

 

太客のクライアントさまから、お仕事の発注を断たれることになりました。

 

 

業績が振るわず、漫画事業から撤退するとのご連絡。

当時、そのクライアントさまからは全体収入の7〜8割になる額のお仕事を毎月いただいていたので、生活の困窮は必至でした。

 

僕の氣持ちはざわつきます。

その氣持ちのざわつきをきっかけに、インターネット活動の2年間を振り返りました。

これまでの活動は、本当に自分がやりたいことだったのか。ひたすら自分に問いかけました。

このとき初めて、この2年の漫画活動が辛かったことを自覚しました。

せっかく掴んだ漫画家の人生。でもそれは、空虚の漫画家人生でした。

本来描きたいものではない漫画を作ることで成り立っていた漫画家人生。

 

胸に刺さっていた親友の言葉が、時を経て痛み出します。

 

 

漫画を描ければなんでもいいわけじゃない。

 

 

中身空っぽの僕は、ようやくこのことに氣がつきます。

半ば盲目的に走ってきた僕は、自分の氣持ちに蓋をしていました。それだけ必死だったのでしょう。

しかし、氣持ちの蓋を開けてしまったので、もう無視することができません。

 

 

辛さが溢れかえりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

学生の頃から勉強も運動も平均以下。

基本的に、何をやっても周りの人より劣っていたので、負けるのが当たり前の人生でした。

自分に自信を持つことなど到底できない性格に、スクスクと育っていきます。

いつからか、できそうなことしかしない癖が身に付きました。

その癖は、夢を抱いてからも変わりません。

 

出版社に通うこと6年。

結果が出せず、自分の非力さを痛感した僕は、逃げるようにインターネットの世界へ移行しました。創作漫画では通用しないと決めつけ、エッセイ漫画を描くようになりました。

限界を決めつけ、できそうなことだけで勝負してきた結果、再び理想と現実との差に激しく苦しむことになりました。

 

 

僕はまた筆を取ります。

もう漫画で苦しむことはしたくないと、好き勝手に描くことにしました。

数字も評価も氣にしない、今描きたい漫画をただ描くことにしました。

中身空っぽの僕でしたが、このときばかりはとりあえず描きました。

自分の描きたいものがなんなのかもよくわかりませんでしたが、とりあえず描きました。

絞り切った雑巾を、さらに振り絞るように、今出せるものをとにかく絞り出しました。

 

半年足らずで14作。簡易的な品質の短編漫画ではありますが、とりあえず世に公開しました。

 

 

 

何度も描くと、似通った表現が出てくることに氣がつきます。

どんな題材で描いても、さほど変わらない表現。僕の中にある不変的な感情。

だんだんと、自分の描きたいものが見えてきました。

少しずつ、中身ができてきました。

 

(そのときに描いた短編漫画をこちらにまとめています▼)

10年の嘘

短編漫画の制作にある程度満足し、いよいよ本格的な長編漫画の制作に取り組みます。

しかし、これが全くうまくいきません。

描いては没、描いては没という、創作不振の日々。

結果、1年以上も作品を発表できない日々が続きました。

 

「面白いものじゃないと発表できない」

 

無意識のうちにそう感じていました。

エッセイ漫画を描いた効果で半ば注目は集まっていたので、恥をかきたくないという思いがあったのでしょう。

本氣で取り組んだ作品が「つまらない」と評されることが怖かったのです。

描いても描いても、納得のいく物語ができませんでした。

 

 

この間、僕は無意識的によく外に出ました。

創作不振のストレスから来る衝動か、己の中身のなさを補おうとした発作か、

とにかく意識的ではなく無意識的に、よく外に出るようになりました。

 

美術館に足を運び、数々の芸術作品に触れました。

日本橋から三条大橋まで、旧東海道514kmを徒歩で渡り歩きました。

知人の芸術家の個展を、端から端まで手伝いました。

 

きっかけは受動的で、声をかけられたから付き添った、といった具合でしたが、

これらの経験が自分に革命とも言える変革を起こすことになりました。

誘ってくれた方々には感謝しかありません。

 

たくさんの芸術作品に触れ、たくさんの人の暖かさに触れ、

この1年で、味わったことのない感情にたくさん出会いました。

 

これまでずっと漫画を描く生活ばかり送っていたので、対外的な経験が圧倒的に不足していたのでしょう。

自分の心が、どんどん豊かになっていくのを感じました。

何氣ないことで、涙が出るようになりました。

 

 

心が育まれていく代わりに、創作漫画は全くといっていいほど進みません。

ある時、その現実を受け止め、僕はまた自分を悲観するようになりました。

 

 

「本当は漫画を描くことが好きじゃないのではないか」

 

 

漫画を描かずに出歩いてばかりの自分を悲観し、またも自分自身に苦しみます。

漫画を描くことが好きじゃないから、机に向かわずに遊び歩いてばかりいるんじゃないか。

漫画を描くことが好きじゃないから、自分に描けそうなエッセイ漫画ばかり描いていたんじゃないか。

漫画を描くことが好きじゃないから、出版社からの連載を諦めてインターネットへ逃げてきたんじゃないか。

自問自答を繰り返し、次第に僕は自分に絶望していきます。

 

10年でした。

氣がつけば、漫画家を目指してから10年という年月が経とうとしていました。

 

この10年、それなりに描いてきました。

たくさん描いたとは胸を張って言えませんが、それなりに漫画制作に時間を費やしてきました。

氣がつけば30歳無職です。自分から漫画を除いたら、ほとんど何も残りません。

 

ここで自分に、「漫画を描くことが好きじゃない」という印を押してしまったら、僕はこの10年という年月を否定することになってしまいます。

僕はこの10年間を否定してしまうことが、怖くて怖くてたまりませんでした。

 

 

僕は旅を始めました。

自分史を遡る、記憶の旅です。

僕は何日かに分けて、昔の感情を思い出そうと、これまでの人生を記憶の限り駆け巡りました。

 

思い返せば、初めて漫画を描いたのは中学生の頃でした。

『RAVE』というファンタジー漫画が大好きで、RAVEの世界観を真似た漫画を描いていました。ノートにシャープペンシルで。漫画の書き方のいろはも、ネームの存在も知らずに、思いつくままにただ描き殴っていました。

この頃は確かに、漫画制作を楽しんでいた。

そう、実感します。

 

時は進み、26歳。『Decade(ディケイド)』を描いていた頃。

この漫画を描いているときも、確かに楽しんで描いていました。

逆に、それまで出版社に持ち込んでいた作品は、楽しんで描いていなかったことにも氣がつきます。

Decade(ディケイド)以外の作品はどれも、担当編集さんに言われるがままに描いていました。

 

担当編集さんは、持ち込んだ漫画を直してくれます。各雑誌が開催している漫画賞を受賞するため、受賞しやすい傾向の内容に、編集さんが手を加えてくれるのです。

それは、知識も経験もない僕にとって、道を示してくれるありがたいご指導でした。

しかし、当時の心情をよくよく思い返すと、納得のいかないままに描き進めていたことに氣がつきます。

受賞することを意識するあまり、自分の描きたいより編集さんのご指導を優先し、漫画制作を楽しめていなかったのです。

 

ところが、Decade(ディケイド)は、ほとんど自分で手掛けました。編集さんのご意見を取り入れたのは、些細な箇所のみで、あとは自分の意のままに描き上げた作品です。

だから、Decade(ディケイド)の制作は楽しめたのだと、それまでの漫画制作と比べることで強く実感しました。

夢中で描いていた日々を、今でも覚えています。

夜通し描いて、あっという間に朝を迎える。そんな日々を幾日も繰り返しました。

 

 

僕は旅から帰ってきました。

 

 

自分は確かに、漫画を描くことが好き。

そう実感すると、次第に心が晴れていきました。

 

氣がつけば、まともに作品を発表しないまま1年が過ぎていました。

1年を通して濃密な経験をし、さらには記憶を遡る旅から帰ってきた僕に、とある変化が訪れていました。

いつの間にか、自分を強く感じるようになっていました。

これが自分なんだと、強く実感する自分がいました。

 

この1年、たくさんの経験を経る中で、自分の内側に意識を向けるようになっていました。

自分は何を見たときにどんなことを感じるのか、自分は何に心を惹かれるか、はたまた何に嫌悪を抱くのか、

そんなことを意識して過ごすうちにいつからか、自分の中に、自分という人間ができていました。

それまでの、数字や評価ばかり氣にしていた自分はいつの間にかいなくなっていて、自分の氣持ちを何より大切に行動する自分がそこにいました。

 

これまで感じたことのないほど強い存在感に、僕は居ても立っても居られなくなっていました。

 

 

「自分という人間を、心ゆくまで表現したい」

 

 

すでに中身は溢れていました。

 

 

 

 

 

現在

描けなかった時期が嘘のように、どんどん物語が湧いてきます。

 

現在は、『スポットライトを浴びたくて……』という漫画を描いています。

その次の作品も、そのまた次の作品も、頭の中ではもう出来上がっています。

今の自分は、面白いかどうかは氣にしていません。数字や評価は二の次、三の次。例え大衆に受け入れられなくても、刺さる人に刺さってほしい。

そんな氣持ちで、今は自分を込めた作品を作り続けています。

 

自分のあまりの変わりようを受け、活動名義も変更することにしました。

覚えてもらいやすい、親しんでもらいやすいように名付けた「かいち」という名義から、本名である「石井嘉一郎」へと変更しました。

他者に迎合した愚作はもう作らない、ありのままの自分を表現していくという決意です。

(実はこのあたりが人生で最大に悩んだ分岐点なのですが、散々悩んでいる様子をお届けしたので、ここでは割愛します。)

 

 

中身空っぽだった僕は、数々の経験を経てようやく中身が詰まりました。

無駄な経験など一つもなく、経てきたこと全てから今の自分ができています。

これまで関わってくださった全ての方に、深く感謝しています。

 

これからは、作品を通して自分というものを伝えていきます。

人間味溢れる物語を書いていきます。

 

こんな僕ですが、精一杯描いていきますので、作品を氣に入っていただけたら応援してくださると嬉しいです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

令和4年10月21日

石井嘉一郎

スポットライトを浴びたくて…… ...