エッセイ

ぼくが4年間、新作を描けなかった理由 

                  

 

 

描けない時期が続きました。

今作『スポットライトを浴びたくて……』は、前作『Decade(ディケイド)』以来、4年ぶりの創作漫画です。

この4年間、迷走ばかりしていました。

周りから評価されないことがずっと怖くて、誰かのために描いてました。

2018年1月

6年通った出版社を離れ、漫画活動の軸をインターネットに移しました。

雑誌連載を夢見て通った出版社。

何度持ち込んでも結果が出ず、氣づけば26歳フリーター。

自分の人生に絶望しました。

それでも夢は諦められず、

個人でなんとかやっていこうと、インターネットの世界に飛び込みます。

インターネットは数字の世界でした。

いいね、リツイート、再生回数、フォロワー数。

数字がまるで戦闘力のように扱われ、多くが競い合っていました。

数字を取るものがいいものなのだと、ぼくは疑いませんでした。

雑誌連載の夢を絶ったぼくは、

”漫画を描いて生きていけたら”

そんなことを考えて、

数字にコミットしていきました。

フォロワー数を増やして、一定数のファンを獲得すれば、好きなことで生きていける。

夢を追うものたちの間で、そんな通説が流れていました。

そんな生活を、なんとかTwitterで叶えようと、フォロワー獲得に躍起になりました。

注目を集めるため、バズる漫画を描きました。

約2年の試行錯誤で、数字を伸ばせるようになりました。

Twitterのフォロワー数は最大5,600人。

最も拡散された漫画は、最大1.3万リツイートを獲得。

同漫画はYahoo!ニュースにも掲載されました。

そのころに、お仕事として漫画制作を請け負うようになりました。

オンラインでもオフラインでも、ある程度の認知を得て、お仕事をいただけるようになりました。

雑誌連載の漫画家ではないですが、漫画で生活できる漫画家になりました。

2020年7月

当時いちばんお世話になってたクライアントから、お仕事の発注を断たれました。

事業を思うように伸ばすことができず、市場から撤退するとのこと。

ぼくは路頭に迷いました。

そのクライアントさんからは、収入の7〜8割分のお仕事をいただいていたので、

また営業からかと一時落胆。

ぼくは極度の人見知り。営業は大の苦手です。

嫌だなぁと思いながら、無意識に、これまでの漫画活動を振り返りました。

インターネットに移行してからの漫画活動、

描いたものといえば、

自分を主人公にしたエッセイ漫画、

バズらせるための漫画、

お仕事としての広告漫画、

20歳の頃に夢見ていた漫画家像が、そこにはひとつもありませんでした。

思い返せば、バズ漫画も、お仕事漫画も、描いても全然楽しくなく、

むしろ苦しいくらいでした。

バズりやすい型通り、クライアントの指示通り、

自分が描いているはずなのに、自分の自由に漫画が描けない。

「ここはこうした方がいいんじゃない?」

「おれならもっとこうするのにな」

そんな氣持ちを、漫画に一切表せず、悶々としながら描いていました。

”漫画を描いて生きていけたら幸せ”

そう思っていましたが、

こんな辛い氣持ちになるのなら、好きなことと関係のない、感情を抱きにくいお仕事をしていた方が、ずっとずっとマシだったと、この時に思いました。

独立後はずっと必死で、毎月毎月、生活費を稼ぐので精一杯。

感情を意識する暇もなく、夢中で走っていたので、辛い氣持ちに氣付くことなく、今をただただ生きていました。

けれど、一度そこに氣づいてしまったら、なんだかとても辛くなって、

氣持ちが溢れかえってしまって、ぼくは精神を病みました。

漫画を描ければなんでもいいわけじゃない。

自分が描きたい漫画を描きたい。

そんなことに、今更ながら氣がつきました。

ぼくはまた、筆を取ります。

もう苦しみたくなかったので、好き勝手に描きました。

お話も絵も簡単な、短編の物語でしたが、

とりあえず、描きたいものをすぐと思って、

夢中で筆を進めました。

やっぱりその漫画も、ネット活動の手垢なのか、

どこか綺麗にまとめている自分がいて、

ウケるように、バズるように、ある程度でまとめてました。

実際に数字は悪くなく、以前ほどではないものの、Twitterではほどほどに拡散されて、

ある日、スポンサー様が現れました。

「制作費、出しますよ」

唐突のご連絡。

ぼくの短編漫画を氣に入ってくださったみたいで、

大変嬉しく思いましたが、

ぼくは重圧を背負うことに躊躇して、ありがたい申し出も、しばらく保留にさせてもらっていました。

しかし結局、いくら短編を描いたところで、収入の目処は立ちそうにありません。

”やっぱりしっかりした作品を作らないと”

金銭的にも精神的にも余裕がなくなってきたぼくは、

声をかけていただいたスポンサー様にご連絡。

企画書を作って提案しました。

こんな漫画を描きたいです。

そのために〇〇円が必要です。

提案のメールをお送りし、ぼくがシャワーを浴びている間に、口座に大金が振り込まれていました。

自由に漫画を描ける幸せと、お金をいただいて描くことの重圧を、胸に同時に抱きました。

これで自由に、描きたいものを描くことができる。

しかしぼくは、思うように作品を作ることができませんでした。

お金をもらって描いているんだから、面白いものを描かないと。

お金をもらって描いているんだから、評価されるものを描かないと。

作っても作っても、納得いくものができません。

なんか違う。

つまらない。

これじゃ評価してもらえない。

周りの評価に縛られて、数字のために描いてきたからか、

”自分が思う周りの納得”が出せるまで、納得できなかったのでしょう。

そんなもの、どこにあるかもわからないのに…。

何度も何度も、アイデアをボツにしました。

何度も何度も何度も何度も、ネームを描いてはボツにしました。

納得のいく物語ができないまま、氣がつけば1年が過ぎていました。

いただいた資金は底をつき、ぼくは激しい罪悪感を抱えていました。

スポンサーさんにはこの間、何度も謝りのご連絡をしていたのですが、くれる言葉はいつも、「コツコツいきましょう」の一言だけ。

成果を出せてないことに対して、怒ってもくれない。見限ってもくれない。

ただ、信用だけが落ちていく。

怒ってくれた方が、見限ってくれた方が、ずっとずっと楽でした。

”これが自由の厳しさか”

このとき、”自由”を痛感しました。

自由は責任の表裏。

声を上げれば支えてもらえる。

けど、そこから先は自分次第。

行動しても失敗すれば、信用はどんどん落ちていく。

自分には、借りた力を活用できる実力がない。社会でうまく生きる能力がない。

不甲斐ない。情けない。だらしない。

ぼくはひたすらに謝りました。

今度はひどく精神を病みました。

描けなかったこの1年、よく外に出ていきました。

描けない苦痛から逃げるように、足りないものを補うかのように、無意識的に外に出ました。

よく触れたのは、芸術と人。

たくさんの経験がありましたが、今のぼくに最も影響を与えたのは、点描画家hiromiさんでした。

2021年11月

彼女の個展をお手伝いしました。

出逢ったころは二児の母。まだ点描画家と名乗る前。彼女も絵を描いていました。

「点描画家として活動したい」と、ぼくを頼ってくれたので、素直に「はい」と二つ返事。

個展の準備から、個展当日まで、

ぼくのできることで、約1年間、サポートしました。

彼女の表現には、ぼくにないものがたくさんたくさん詰まっていました。

作品はもちろんのこと、作品に対する想いももちろん。

個展をやるときにわかったのは、彼女の細部へのこだわりでした。

まだ個展が始まる前、搬入の段階から、ぼくは彼女に圧倒されました。

個展のために準備するもの一つ一つに、点描画家hiromiを感じました。

見えるものはもちろんのこと、見えないものや、見えないところ、

画廊も、作品も、作品の額も、用意する置き物や雑貨、作品を飾るための備品、グッズを入れるためのケース、裏に置いておく雑多なものまで、

準備するもの一つ一つに、こだわりを感じました。

「氣に入った場所でしか個展はできない」

「氣に入ったものしか使わない」

彼女はそう言いました。

彼女にとっては当たり前でも、ぼくにとっては衝撃でした。

ぼくに同じことはとてもできない。

描きたいものも、自分の好みも、何もかもわからないから。

周りの評価に縛られていたぼくは、自分に自分がないことを痛感。

いざ個展が開催されると、彼女が作り出した空間に、次々と人がやってきます。

彼女が描いた作品のチカラに、彼女に会いに来た人のあたたかさに、接する彼女のあたたかさに、

会場の雰囲氣、交わされる言葉一つ一つ、

全部に絶えられなってしまって、ぼくは涙を流しました。

溢れる想いは止まりません。ずっと泣けると思いました。

置いてあったティッシュが一箱空きました。

泣いている理由がわからないまま、何に感動しているのかわからないまま、ひたらすらに涙を流し続けたのは、この時が初めてです。

”これが自分を、表現するということか…”

個展のお手伝いが終わってから、ぼくは自分の表現を探しました。

自分もあんなふうに、自分を表現してみたい。

周りを氣にせず、評価も氣にせず、ただただ、自分を表現してみたい。

そう思っている自分がいました。

そうは思ったものの、

ぼくは自分のことがよくわかっていませんでした。

何を描けばいいのかも、描きたいものがなんなのかも。

自分のことがわからなければ、点描画家hiromiのような表現はできません。

ぼくは自分探しから始めました。

自分ってどんな人?

どんなことを受けて何を感じる?

どんなことに心動かされる?

自分が読みたいものってどんな話?

一つ一つ、自分に問いかけながら過ごしました。

本を読んでは、映画を観ては、買い物をしては、会話をしては、

感じました。心の動きを意識しました。

この表現が好みだな。

この演出はちょっと嫌だな。

こういった小物に心惹かれるな。

こんなやりとりが好きだな。

少しずつ、自分を掴んでいきました。

最初からあったもの。

けど、意識を向けてなかったもの。

どうして今まで、自分を意識してこなかったのでしょう。

今までずっと周りの評価を氣にしてきたので、自分を知る機会が少なかったのです。

思えば、出版社に通っていたときもそうでした。

当時も、雑誌の傾向や、担当編集さんの好みに合わせて描いていました。

好きに描いていたのは、最初に持ち込んだ作品と、

『Decade(ディケイド)』という作品、

それから、

現在描いてる『スポットライトを浴びたくて……』

学生時代もそうでした。

グループから省かれることが怖かったので、周りに合わせて生きてました。

みんなの正解が自分の正解。みんなのいいものが自分のいいもの。

そんなふうに過ごしてきたので、実家のぼくの部屋の中には、なんで買ったのかよくわからないものが、たくさんたくさん置いてあります。

思えばずっと、そんなふうに生きてきたんです。

友達から嫌われるのが怖かったから、

先生に怒られるのが怖かったから、

なるべく波風立てないように、穏やかに、何があってもニコニコ笑って、そうやって過ごしてきました。

自分の氣持ちは蔑ろにして、「こうした方がいいから」と、

自分の意に沿わない方を、どんどん選んでいきました。

そうして出来上がったのが、中身のない、空っぽのぼくでした。

空っぽだから、バズる漫画を描けたのです。

空っぽだから、仕事漫画も請けたのです。

本当は描きたくなかった。

でも、平気だった。

耐えられから。

自分の心なんてどうでもいい。

感じるのが辛いなら、感じなければいい。

心の負荷なんて、氣にしなければいくらでも耐えられる。

何があっても大丈夫。

小さい頃から、何をされても、ニコニコ笑って過ごしてきたから。

どれだけ揶揄われても、どれだけ蔑まれても、波風立てるのが嫌だから、自分を抑えて生きてきたから。

常に周りを優先して、みんなの後ろにくっついて、自分なんて、いてもいなくても変わらないように、そうやって生きてきたから。

これが自分でした。

これが自分だと氣がつきました。

暴力や暴言が嫌いで、

勝負事には臆病で、

自分よりも周りを氣にして、

寂しそうな人を放っておけなくて、

傷つけたことを後悔して、、

期待を裏切ったことに後悔して、

優しくできなかったことに後悔して、

自分の過ちを深く悔いて、

少しでも心穏やかに過ごしたくて、

少しでも人に優しくありたくて、

どこまでも弱くて、

どうしようもない…。

これが自分です。

これが自分の描きたい人です。

人間を描きたいです。

人間を懇切丁寧に描きたいです。

ぼくのフィルターを通した人間模様。

人と人、心の距離感、

夢破れたこと、

絶望したこと、

触れちゃいけなかったこと、

傷つけてしまったこと、

心を塞いだこと、塞がれたこと、

見ないふりをしてきたこと、

本当は辛かったこと、救えたかもしれない人を救うことができなかったこと。

過ちだらけの人生の中、それでも生きていかねばならないこと。

表現したいのは、自分の人生の断片にある、

人間同士の物語。

描きたい物語が見つかりました。

自分の表現が見つかりました。

ぼくも思いきり表現したい。

名だたる芸術家のように、点描画家hiromiのように、

心ゆくまで表現したい……。

自分の表現が見つかると、過去の自分が嫌になりました。

今まで何をやっていたんだろう。

これまでの作品が、取るに足らない、くだらない。

バズをてらった薄い内容の漫画、

応援されるためにつくった企画、

そこに自分はありません。

過去の活動や作品も、

ビジネスで運用してたSNSも、

全部全部嫌になって、

そんな自分とおさらばしたくて、

名義ごと、SNSアカウントを変えました。

かいちから、石井嘉一郎へ

獲得した数字はリセット。

また1から、今度は自分の表現で。

”周りの面白いは”必要ない。

描くのは自分の面白い。

もう、誰かに迎合した作品は作らない。

そんな決意を、名義変更に込めました。

今は心から、描くことが楽しいです。

本当に描きたいものを、ようやく見つけることができました。

『スポットライトを浴びたくて……』

これがぼくです。これがぼくの、石井嘉一郎の表現です。

ぼくの作品に魅力を感じてくれたら、可能性を感じてくれたら、今、応援してくださると嬉しいです。

よろしくお願いします。

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かいちを応援する方法3つ

作家、石井嘉一郎を応援する3つの方法をご紹介します。

①友人に紹介する
②作品の感想を送る
③作品制作に支援する

①友人に紹介する

よかったら、作品をご友人に紹介してください。

作品制作持続のため、一人でも多くの方の応援が必要です。

氣に入った作品をご友人に紹介してくださると、とてもとても嬉しいです。

②作品の感想を送る

よかったら、作品の感想を送ってください。

読者さんからいただく応援のお言葉が、創作のチカラになります。

Twitter、Instagram、やってます。

よかったら、普段使っているSNSからメッセージを送ってください。

③作品制作に支援する

よかったら、作品制作に支援してください。

当サイトの作品は、かいちがひとりで制作しています。

作品制作には膨大な時間がかかります。制作に時間を費やすためにはお金がかかります。

少しでも早く続きが読みたいと思ったら、制作支援に協力してくださると嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

当記事、『ぼくが4年間、新作を描けなかった理由』は、スポットライトを浴びたくて…… のなかがきです。

作品のことというよりは、自分のことを綴りました。

自分のこれまでを振り返って、改めて、今作に賭ける想いを綴りました。

作品同様、感じるものがあれば幸いです。

ありがたいことに、たくさんの方が本作を応援してくださっています。

そんなみなさんの応援の声を、ちょっとだけ紹介させてください。

スポットライトを浴びたくて……の感想を、熱烈な応援者である☀️のりこ☀️さんがまとめてくれました。

以下、スポットライトを浴びたくて……のTwitterでの感想です。

☀️のりこ☀️さん、ありがとう)

そのほかにもたくさん、下記のリンクにまとまってます。

よかったら覗いてみてください。

https://min.togetter.com/NnIS3tk

続いては、記事や動画、音声配信での紹介です。

本文でも記載させてもらった点描画家hiromiさんが、記事内で紹介してくれました。

彼女には、ぼくが描けずに悩んでいることを話していました。

そんな話を聴いていたから、思うところがあったのでしょう。

ぼくの漫画制作のことを、とてもあたたかく書いてくれてます。

よかったら読んでください。

いつもぼくを応援してくれてる☀️のりこ☀️さんとらんさんが、動画で紹介してくれました。

2人も、ぼくが悩んでいるとき、よく相談に乗ってくれました。

20:00あたりから『スポットライトを浴びたくて……』の紹介を熱烈にしてくれています。

よかったら覗いてください。

聴覚障害持ちのお友達、ひっつーこと矢部 孝春さん。

いつも誰かを応援している、とても心の温かい人。

『スポットライトを浴びたくて……』の広告を、Voicyに出してくれました。

㈱和髙組 髙橋社長のVoicyで宣伝してくれてます。

チャプター1です。よかったら聴いてみてください。

たくさんの方のご協力の元、作品を制作することができています。

いくら感謝してもしきれないほど、たくさんたくさんいただいています。

本当に本当に本当に、ありがとうございます。

制作にだいぶ時間がかかっておりますが、引き続き、応援していただけたら嬉しいです。

石井嘉一郎